パチスロ60年の歴史~法の網の目をかいくぐり愛された一撃万枚機種

現在、パチンコ店のほとんどはパチンコ機とパチスロ機を併設しています。
通称パチスロ。正式名称は「回胴式遊技機(かいどうしきゆうぎき)」です。

警察庁調べによれば、国内のパチスロ機総設置台数は2014年12月時点で163万5583台。
過去5年連続で減少傾向にあるものの、「大人の遊び」として依然根強い人気を誇っています。0号機の登場から約40年、パチスロはどう進化を遂げてきたのでしょう?

今回の記事は、パチンコ・パチスロ歴30年以上、パチスロは1.5号機の時代から打っているというライターさんに、パチスロの登場から現在までを振り返り、当時の回想と共に「パチスロの歴史」を語ってもらいました。

[公開日]2015年6月26日
[著]RAGE
[編]マイコンシェルジュ編集部

パチスロの登場

パチスロの起源は、戦後まだ沖縄がアメリカの統治下にあった時代に遡ります。
沖縄在住のアメリカ人向け娯楽としてアメリカからスロットマシンが輸入されたのをきっかけに、1950年代中頃より日本国内でのライセンス生産がスタート。

セガ社がスロットマシン生産に参入し、やがてオリジナルスロットマシンの開発・生産を開始します。本土パチンコ店でのスロットマシン設置を目指しますが、射幸性の高い賭博機であるとの理由で認可が下りず、沖縄のみでの設置となりました。

ようやく本土での設置認可が下りたのが1964年。しかし導入は進まず、ほぼ沖縄のみでの設置に留まりました。
この頃設置された機種は東京オリンピックにちなんで、「オリンピアマシン」と呼ばれ、現在の沖スロの源流とも言われています。当時のマシンは筐体が大きく(アメリカのカジノに設置されるものと同じサイズ)、現代のパチスロに比べて操作性も悪いなどの特徴がありました。

そして1977年、アップライト型0号機が登場し、本土での導入が一気に進み始めます。

0号機時代(1977年~1985年)

マックス商事が初のアップライト型パチスロ機「ジェミニ」を発表したのをきっかけに、他メーカーからも続々とパチスロ機が登場。当時はまだ「パチスロ」という言葉はなく、アメリカからやってきた新感覚のパチンコ機として「アメリカンパチンコ」と呼ばれていました。

0号機の仕様はボーナスゲームと子役ゲームのみの構成となっており、一旦ボーナスゲームに当選すると次回以降当たりやすくなるというタイプが多かったようです。打ち止め機能はなく、定量制一回交換が営業の主流だったようです。

現在のように全国統一の基準はなく、ボタン停止後4コマ以上大きく滑るものもありました。リール配列や制御の甘い台も多く、目押しにより攻略可能な機種もありました。

1号機時代(1985年~1988年)

新風営法の施行とともにパチスロ機に全国統一の基準が設けられ、1号機が登場。4号機までのAタイプ機と同等のボーナスシステムを搭載していました。

全国的にパチスロの設置が急増したのが、この1号機登場以降です。

代表機種/アメリカーナXX(ユニバーサル販売)、プラネット(山佐)、ハイアップ(タイヨー)など

さてさて、私が初めてパチスロを打ったのが18歳・大学1年の時。実家に帰省した際、父親に連れられて導入されたばかりのプラネットを打ちました。
初めて打った感想は「パチスロって儲かるんじゃね?」
だって2,000~3,000円でボコボコ当たったんですもん。まあ後から考えれば、たまたま設定が良かっただけなのですが…

これに味をしめ、一気にパチスロにはまることになります。

1.5号機

1号機の不正改造対策機として登場したのが1.5号機。
純増方式のAタイプのみで、純増約360枚前後で打ち止めとなる。

現在のようにオートリセット機能はなく、手動での打ち止め解除が必要。ボーナス抽選は吸い込み方式を採用しており、選択モードごとの規定吸い込み枚数到達でボーナスが成立する仕組み。目押しによる攻略可能な機種も多数存在しました。

代表機種/ファイアーバード7U(瑞穂施作所)、トロピカーナ7X(メーシー販売)、ニューペガサス(パル工業)

私が初めて攻略というものを知ったのがファイアーバード7U。
大学の先輩が知り合いのプロから聞いた手順を特別に教えてもらいました。
まあ4号機のリプレイ外しの元祖みたいなもんですが、難易度は超A級!
特に終盤、JACインさせつつ子役を取るのはマスターするまで1週間はかかりました。
他のプロの邪魔をしないように細々と稼がせてもらいました。

2号機(1988年~1990年)

大幅に内規が変更され、吸い込み方式は禁止に。すべての抽選は完全確率方式となりました。
また2号機より、メダルのクレジット機能、BET完了からリール変動開始までの4秒間ウエイトなどが追加され操作性が大きく変化。更に小役・シングルボーナスの集中など新たなゲーム性の搭載も可能となりました。

2号機登場初期、1.5号機までの連チャン性が抑えられたことやプレイスピードが遅くなったことなどへの不評がありましたが、徐々に爆裂タイプの機種が登場しユーザーの人気を獲得していきました。

代表機種/センチュリー21(ミズホ)、アラジン(ニイガタ電子)、ガリバー2(北電子)、バニーガール(オリンピア)など

私が2号機で最も打ち込んだのは、ガリバーとチャレンジマン。
特にチャレンジマンは好きでした。子役が連続で揃っただけでもうドキドキ!
このチャレンジマンには子役の集中役があって、確か5G、10G、30G、60G、無限だったと思います。集中に入ったかも?と思わせて大抵は5Gで終わるんですが、それを超えたらもうドキドキもんでした。

3号機(1990年~1992年)

2号機のギャンブル性の高さが指摘され、「射幸性を抑えた機種」として登場したのが3号機です。2号機で爆裂出玉を可能にした「集中役」に強い規制がかけられ、ギャンブル性を抑えた画一的なゲーム性に変化。

「3号機はつまらなくなった」というユーザーの評価に対し、全国的に不正改造を加えたいわゆる「裏モノ」が出回り始め、純正台にはない強力な連チャンが人気を集めるようになります。

こうした「裏モノ」はメーカーとは一切関係なく、不正部品の取り付けや改造を行う通称「カバン屋」によっておこなわれたものであり、3号機導入から1年後にはホールに導入された台の多くが裏モノ化していったのです。
これに対し当局側も素早く対応し、基盤改修や不正防止のための再封印を徹底。パチスロ人気は下降していくことになります。

代表機種/スーパープラネット(山佐)、ワイルドキャッツ(アークテクニコ)、コンチネンタル(瑞穂製作所)など

3号機と言えば裏モノ!当時は連チャンしなけりゃパチスロにあらずという感じでした。
私の実家の近所にオール裏モノの店がありまして、よく土日に実家に戻って打っていました。
特に好きだったのがドリームセブンJrとマジカルベンハー。フラグ成立時の右リールのズルすべりがたまりませんでした。
その店のバージョンはいわゆる状態ものってやつで、ボーナス後およそ100G以内の連チャンがダラダラ続くものでした。4,000枚天井までいくと必ず連チャンに入るのですが、2連で終わることもよくあり、一日で22万負けたこともあります。

4号機(1992年~2005年)

3号機の不正改造の横行を受け、改造防止のセキュリティを強化した4号機が登場。コイン持ちのベースをアップするリプレイが新たに追加され、またフラグ成立告知も可能となりました。

ゲーム性も大きく変化し、ST機やAR機、CT機など多彩なゲーム性を持つ機種が次々と登場していきます。ボーナスはこれまでの純増方式から期待値方式へと変化し、最大獲得枚数がワンビッグ700枚を超える機種も登場しました。

大量獲得ST機「吉宗」や、一撃5,000枚役を搭載した「ミリオンゴッド」などギャンブル性の高い機種が次々と登場。目押しによるリプレイ外し攻略の一般化なども相まってパチスロ人気は再び過熱していきます。

ギャンブル性の高い機種に魅了され借金までしてパチスロにのめり込む人が増えたため、やがてパチスロの射幸性が問題視されるようになり、日電協は2002年7月に自主規制を改定し、以後の検定通過台を4.5号機としました。事実上ST機は検定を通らなくなりました。さらに2004年1月に規制を再強化。以後の検定通過台を4.7号機としました。

代表機種/吉宗(大都技研)、獣王(サミー)、鬼浜爆走愚連隊(アビリット)など

私の4号機の思い出として一番覚えているのが、ミリオンゴットで4万枚出したこと。
朝一1,000円でGOD揃いの後、そのゴッドゲーム中に再びGOD!さらに、ゴッドゲーム終了後のG-ZONE中に3度目のGODが降臨し、ストック全放出で出っ放しとなりました。
周囲に人だかりはできるわ、店員がずっと張り付くわ、生きた心地はしませんでした。
ちなみに儲けた80万でクルマを買いました。

5号機(2005年~)

射幸性が高くなりすぎた4号機は「社会不適合機」として2007月9月30日をもって全面撤去されることが決まり、その次世代機として登場したのが5号機です。

4号機の射幸性があまりにも高くなりすぎたことを受け、日電協は検定基準を厳格化、出玉性能は大幅に制限されました。

現在の5号機のタイプは大きく分けて3タイプ。ボーナスのみのAタイプ・ボーナスにARTを加えたA+ARTタイプ、ART(AT)のみのタイプです。エウレカセブンや押忍サラリーマン番長のボーナスは「疑似ボーナス」でありAT機に分類されます。

5号機の初期には、1万枚を超えるような大量出玉は不可能とされていましたが、現在は再び2万枚以上のコインを吐き出す爆裂機がホールを席巻しています。

こうしてパチスロの歴史を振り返ってみると、「規制」と「メーカーの開発力」との競争の歴史であることがわかります。
近年パチスロの遊技人口は減少傾向にあり、マーケット全体が縮小しています。今後、業界がどんな取り組みをしていくのかが注目されるところです。

代表機種/リングにかけろ(銀座)、アイムジャグラーEX(北電子)、押忍番長2(大都技研)など

さて、5号機、みなさんは何が好きですか?
私が5号機で最も好きなのは、初代リンかけとサンダーVスペシャルです。特にリンかけの完成度は5号機№1だと思います。
通常時、左・中・右のどこから押しても楽しめるのですが、私は断然左リールに竜児を中段ビタ!ズルっと4コマすべって上段に赤7が止まったら激アツです。もう次はどこを狙うかドキドキでした。

AT機主流の現在、ここまで熱くなれる台がないのは残念です。

この記事を書いたライター【プロフィール】
ニックネーム:RAGE
出版社に12年勤務後、フリーライターとして独立。趣味はギャンブル、弾丸旅行など。ギャンブルは特にパチスロが好きで、1号機時代から打ち続けている。

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