当時はまだギャンブルをしたことがなかったのですが、自分で自由に使えるお金も増え、さらに職場の同僚たちと遊ぶようになった時に、職場の同僚から初めてパチンコを教えてもらいました。最初は飲みに行った帰りにみんなでパチンコをした記憶があります。パチンコで良くあるのはビギナーズラックで、いきなり1万円使って5万円ほど勝ちました。それがきっかけでちょっとずつパチンコにはまるようになりました。
【体験者の情報】
体験者 | 借入件数 | 借金総額 | 借金期間 | |
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アコム、プロミス | 200万円 | 1999年7月頃~ |
パチンコによって人生設計が狂ってしまった話
私は高校を卒業してすぐに地元にある工業団地の中のとある工場に就職しました。当時はまだバブル景気だったため、高卒でもなかなかの給料をもらっていました。もちろん、ボーナスもありました。そして、3交代の勤務だったため夜勤のときもあり、特別手当もあったので、高卒なのに手取りで30万円近くもらっていました。
当時はまだギャンブルをしたことがなかったのですが、自分で自由に使えるお金も増え、さらに職場の同僚たちと遊ぶようになった時に、職場の同僚から初めてパチンコを教えてもらいました。最初は飲みに行った帰りにみんなでパチンコをした記憶があります。パチンコで良くあるのはビギナーズラックで、いきなり1万円使って5万円ほど勝ちました。それがきっかけでちょっとずつパチンコにはまるようになりました。
最初はきちんと自分の給料の範囲内で遊んでいたのですが、パチンコの場合は10万円近く投入して当たりが来るという場合もあり、実際にどこまで投入したら良いのかが分からなく、知らずにどんどんとお金を投入するという生活になっていきました。そして、最初は友だちから借金をし、次第に友達に借金を返済できなくなり、ついに消費者金融に手を出すようになりました。それが、1999年ごろだったと思います。
一度借りてしまうと、自分でも歯止めが利かなくなり、それからは自転車操業のような状態になりました。借金を返済するために、さらに違うところから借金をするというものです。
消費者金融としてすでに全国展開していたアコム、プロミスからお金を借りました。無人の契約機が家の近くにあったので、それを利用しました。最初は50万円だったのですが、自分でもびっくりするくらい簡単に借り入れができたので非常にびっくりしました。最初は、早く返済しようと思っていたのですが、次第にそうした気持ちよりもどうしたらやりくりできるか、目の前の借金を返せるかしか考えられなくなり、自分の借金額も分からなくなりました。
借金をする前には消費者金融には手を出さないと思っていました。なぜなら、借金をすることは悪いことだと思っていたからです。とはいえ、友人から気軽に借りてしまったお金を返さなくてはという思いもあり、特に深く考えず1回利用したところ、2回目以降は抵抗なくそのまま利用し続けました。
携帯代が払えない時に、自分の惨めさを実感した
結局は最初に友人から借りた借金を返済するために、消費者金融を利用しました。しかし、その後もパチンコは続け、当然返済するお金もつぎ込んでしまったので、給料はあったものの返済するお金がありません。そこで、違う消費者金融アイフルからお金を借りるというどんどん悪循環にはまってしまいました。また、自分自身でも借金をいくらしているのか、毎月いくらずつ返済しなければならないのかを把握できなくなり、とりあえず目の前にある返済期限を乗り切るために、なんとかお金を工面するという日々が続きました。
次第に、勤めていた会社の経営も悪くなり給料も減り、ボーナスはなくなり、元々苦しかった生活がさらに苦しくなりました。結婚していたのですが、携帯代を延滞し続けたため、ついには自分の名義で携帯電話の契約もできなくなり、自分の惨めさを強く実感しました。妻の収入がなければ、本当に生きていけなかったと思います。
お金がないので、結局は遊ぶこともできず、そして遊ぶことができないと自然と友だちが自分のもとを去っていきました。結局はそれだけの付き合いだったのかと思い知らされました。食事も外食ができないので、家で食べるようになり、結果的には家族の会話が増えたという良い面もあったとは思います。ただ、家族に贅沢をさせてあげることができないのが辛かったです。クレジットカードが使えなかったので、買い物も欲しいのを泣く泣くあきらめるという経験もありました。